【愛されたい・必要とされたい】人に愛されたい欲求に疲れたら、読んでください

あなたは、愛されたいですか…?

きっと、本当は沢山の人に愛されたい。誰からも愛されない人生がもう嫌だ。そう思ってこの記事にたどり着いたのではないでしょうか。

しかし、「もう愛されなくたっていい」なんてタイトルを見せられたら、「え、じゃあ愛されることを諦めるの…?」、ネガティブな考え方なんじゃないか、と思ってしまうかもしれません。

愛される事を諦める。半分合っていて半分違う。今回は愛されたい欲求を抱いてしまう原因と、どう向き合っていくといいか、前向きな気持ちになれる考え方についてシェアしてみたいと思います。

この本は私が少し元気が出始めた頃に読んでいた奥井まゆさんの「決めるだけ。」そして、Kenjiさんの「ゼロリセットマジック」かなり勇気づけていただいたので、ご紹介します。

もうこれ以上、愛される必要がない

なぜ、愛されたいか、愛される必要があるのか、

その本質を紐解いてみると、

「愛されない自分には価値がないのではないか」

そういった無価値感が、愛されなくては生きていても辛い、という思考感情を産み出していると考えることができます。

それは、自分自身が、自分には愛される価値のある偉大な存在であると信じられない、という潜在意識が作用しているためです。

あなたはもう既に、十分に偉大な価値を持っていて、万物を創り出す可能性を秘めている存在なのだと。自分の得意なところも苦手なところも、丸ごと認めてあげてみてください。大丈夫、ありのままの姿で良いんです。他人に愛されなくても、あなたには十分に価値がありますし、もう既に沢山の人に愛されていることを一時的に見失っているだけなのです。

愛を外に求めても、自分のものにはならない

愛を自分の外側に探し求めて彷徨ったところで、見つからないし、見つかっても自分のものにはなりません。

外に求めた愛は消耗品であり、エンジンを手に入れられるわけではないからです。

そして、愛を生みだす永久機関は私達の心の中に既に備わっています。誰かに愛される必要もないほど、内側にエンジンが眠っているので、私達はそのエンジンをスイッチONにするだけです。

そして、スイッチのストッパーになっているのは、自己受容の欠如。

愛は消耗品

人それぞれ内側に愛のエンジンを搭載しています。でも、そこから発電できるエネルギーは消耗品。自分のエンジンはOFFのまま、他人のエネルギーを乞食すると、自分自身も身の回りの人間関係も枯れていきます。

「他人に愛されたい」それは、人の金で焼肉が食いてえ!と言っているのと一緒。

そう考えると、本当にこれ以上愛される必要なんてないんですよね。眠っているエンジンをスイッチオンにしてみて下さい。あなた自身に愛のエネルギーを循環させて、心の中で丸くなっているチルドレンに愛を巡らせて下さい。満ちて下さい。溢れて下さい。愛を感じて下さい。

満たされた愛は溢れ、外に放たれ、循環する

「愛されるのを諦める」

それは卑屈になることでもなくて、ドライになるとかそういうネガティブなものでもなくて、自分の感情も丸ごと受け入れて愛することに近い。

すなわち、誰かに愛されたいのなら「愛される」ではなく、自分も他人も「愛する」側に回る事を当たり前と認識すること。

そうやって、愛を生み出す永久機関と化した私達は、満たされ、外に放ち、それは循環してまた誰かに降り注ぐ。何だかお金に似ているような…。。

さいごに

短いですが、最後までお読み下さりありがとうございます。今度はまた別の角度から、愛をテーマに考えを巡らせてみようと思います。

この、愛を生み出すエンジンの馬力って筋力と一緒で、鍛えないとすぐガス欠になりがちだなとふと思いました…。自分を削らずにギブし続けられる愛エネルギーを、どんな形なら苦なく枯渇せず産み出せるのか、わたし自身も探り中です。

(もしかしたらこのブログを書く行為も、それに値する何かになり得るのかな…)

あなたに愛と幸運が満ち溢れます様に*

当ブログでは、幸せ論やパートナーシップ、人生が好転する考え方について発信しています。よければ他の記事も読んでみていただければ幸いですv 最後までご覧くださり、ありがとうございました。

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